マヴス40周年に関連してのことなのか、マヴスが公式SNSにて“レガシー・オブ・ダラス”なる企画を展開。
マヴスよりも以前に存在し、ダラス・フォートワースエリアの道を切り拓いてきたチームへ敬意を表しジャージーで表すというものです。
歴史を勉強できて結構面白いです。
フォートワース・キャッツ(野球)
"You can't know where you're going until you know where you've been.”
This week we pay homage to the teams that came before us and paved the way in DFW. First up, the biggest show in town in the 1920's, the Fort Worth Cats. #MFFL pic.twitter.com/i8yUkxt4if— Dallas Mavericks (@dallasmavs) 2020年4月27日
1888年の設立から1959年まで、ほとんどをテキサスリーグに所属し過ごしたフォートワース・キャッツ。
1895年と1905年にはリーグ優勝を果たしています。
1910年代後半から1920年代前半の間、MLBのチームは春のトレーニングを終えて帰る前にフォートワースでキャッツと対戦するのが恒例でした。
テキサスのファンたちはタイ・カッブ、ベイブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ロジャース・ホーンスビーらメジャーリーガーたちのプレイを故郷の地で楽しむことができたのでした。
ダラス・テキサンズ(フットボール)
𝗗𝗮𝗹𝗹𝗮𝘀 𝗵𝗮𝘀 𝗮𝗹𝘄𝗮𝘆𝘀 𝗯𝗲𝗹𝗼𝗻𝗴𝗲𝗱 𝘁𝗼 𝘁𝗵𝗲 𝗯𝗼𝗹𝗱.
In the 1960's there was no one bolder than Lamar Hunt. We pay homage to the man known as “Games” and his Dallas Texans with our second Legacy of Dallas jersey. #MFFL pic.twitter.com/oyIx8PxelX— Dallas Mavericks (@dallasmavs) 2020年4月28日
1959年、ラマー・ハントはプロフットボールの顔を全く新しいものに変えたのでした。
ハントはAFLを設立し、故郷を代表するチームとしてダラス・テキサンズを作ります。
しかし、テキサンズはNFLの当時最新のエクスパンションチームであったダラス・カウボーイズと真っ向勝負を強いられることとなります。
テキサンズはダラスでも市民権を得ていたものの、リーグのためにはフランチャイズをカンザスシティへ移すのがベストだとハントは判断。
その地でチームはカンザスシティ・チーフスと名を改めるのでした。
ダラス・イーグルス(野球)
“𝐄𝐯𝐞𝐫𝐲𝐭𝐡𝐢𝐧𝐠 𝐢𝐬 𝐛𝐢𝐠𝐠𝐞𝐫 𝐢𝐧 𝚃̶𝚎̶𝚡̶𝚊̶𝚜̶ 𝐃𝐚𝐥𝐥𝐚𝐬”
Only one team was popular enough to draw 50,000 fans to the Cotton Bowl in 1950. That was the Dallas Eagles. #MFFL pic.twitter.com/AEKYXOZsno— Dallas Mavericks (@dallasmavs) 2020年4月29日
テキサスリーグの開幕日観客動員記録を樹立すべく、イーグルスのオーナーであるディック・バーネットは試合をコットン・ボウルで行います。
タイ・カッブ、トリス・スピーカー、チャーリー・ゲーリンジャー、ディズィー・ディーンら殿堂入り選手たちを一夜限りで揃えたイーグルス。
40~64歳だった彼らは打者1人と対戦しました。
この仕掛けは53,378人のファンを呼び、テキサスリーグの1試合観客動員記録更新という、バーネットが立てた目標を達成したのです。
この記録はいまだ破られていません。
テキサス・スパイダーズ(野球)
"𝐓𝐡𝐞 𝐂𝐡𝐚𝐦𝐩𝐢𝐨𝐧𝐬 𝐨𝐟 𝐓𝐞𝐱𝐚𝐬"
When that black school bus with the cobweb painted on the back rolled into town, you knew the Texas Spiders were there to play some ball 🏀 #MFFL pic.twitter.com/XRJBZLB5MV— Dallas Mavericks (@dallasmavs) 2020年4月30日
スパイダーズはアメリカ中を回って大会に参加する、黒一色の周遊野球チームでした。
新聞には“テキサス・ブラックスパイダーズ”と書かれ、“テキサスの王者”と呼ばれることもしばしば。
チームは最初、チーム名が車体横に書かれた黒いスクールバスで中西部へ向かいました。
バスには窓がなく、背には蜘蛛の巣が描かれていたと言います。
ダラス・シャパラルズ(バスケットボール)
The history of professional basketball in Dallas begins with the 𝐃𝐚𝐥𝐥𝐚𝐬 𝐂𝐡𝐚𝐩𝐚𝐫𝐫𝐚𝐥𝐬. The Chaps and the ABA didn't last long in Dallas, but the love of basketball never left. #MFFL pic.twitter.com/9Tt5fGtbtQ— Dallas Mavericks (@dallasmavs) 2020年5月1日
ダラス・シャパラルズは、ダラスにおけるプロバスケの歴史の始まり。
アメリカン・バスケットボール・アソシエーション(ABA)の創設メンバーだったシャパラルズ。
チームの元々のオーナーたちはシェラトン・ダラス・ホテルで行われていた組織会議においてなかなかチーム名を決められず、結局は会議が行われていたシャパラルズ・クラブにちなんで命名されたそうです。
チームは1973-74シーズンにテキサス州サンアントニオに移り、サンアントニオ・スパーズと名前を変えるのでした。
ダラス・エクスプレス(バスケットボール)
"Express Fan For Life" doesn't quite have the same ring to it, but in 1980 that very easily could have been the name of your Dallas Mavericks.
We introduce you to The Dallas Express. #MFFL pic.twitter.com/8ougeVk8Sr— Dallas Mavericks (@dallasmavs) 2020年5月2日
ダラス・エクスプレスは、マヴスがもしかするとなっていたかもしれないチーム名。
なので、このチームだけ実際には存在していません。
1980年NBAオールスターゲームの際に、リーグのオーナーたちによる投票でテキサス州ダラスをホームとするNBA23チーム目のエクスパンションが決まりました。
新アリーナとGMをもって承認はされたものの、まだチーム名は決まっていない状態。
そこでチーム名の一般公募が行われ、4,600通の応募の中で人気が高かった3案がエクスプレス、ラングラーズ、そしてもちろんマーヴェリックスだったそうです。
突然始まった企画でしたが、個人的には結構面白かったです。
バスケのジャージーデザインとしては見慣れないものが多いですが、スローバック的にスペシャルナイトなんかで着用するような企画があっても面白そう。